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2025年8月16日土曜日

鶴田浩二

 




1924年~1987年
俳優      歌手

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19歳の時学徒動員で
徴兵され、海軍飛行科予備
生徒として入団
海軍少将として終戦を迎え
ました。この戦争体験が
その後の人生に大きな
影響を与えたとされています

1960年に東映に入社
東映の任侠路線のトップスター
として、高倉   健と共に多くの
映画に出演
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歌手としても多くの
ヒット曲を生み出しました

「夜霧のブルース」
「傷だらけの人生」
「街のサンドイッチマン」
「赤と黒のブルース」
「異国の丘
「好きだった」
等など



2025年8月7日木曜日

松田優作






俳優としての軌跡と功績

1973年、テレビドラマ

 「太陽にほえろ」に
  ジーパン刑事(柴田 純)役で
                                         出演
    
 その破天荒なキャラクターと
 若さ溢れる演技で
  一躍スターダムにのし上がった。

 殉職のシーンでの 
 「なんじゃこりゃあ」という
 叫びは、今も語り草と
                        なっています 
        
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  「狼の紋章」で
  スクリーンデビューしました
 

  




村川   透監督とのコンビで
                            生み出された
  「遊戯シリーズ」
  「最も危険な遊び」などで

  ハードボイルドなアクション

  俳優として地位を確立

★テレビ★「太陽にほえろ」

「俺たちの勲章」

  「大都会  part2」
  「探偵物語」
  「新-夢千代日記」

★映   画★

  「人間の証明」
  「遊戯シリーズ」
  「蘇える金狼」
  「野獣死すべし」
  「家族ゲーム」
  「探偵物語」
  「ア・ホーマンス」
  「華の乱」


★海外  映画★
(ハリウッド映画に出演)

  「ブラック・レイン」
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日本アカデミー賞

🌸優秀主演男優賞🌸

1980年「蘇える金狼」
1984年「家族ゲーム」
1986年「それから」
1989年「嵐が丘」「華の乱」

2025年8月6日水曜日

石原裕次郎





  昭和を代表する俳優、歌手、実業家です。その主な活動歴は以下の通りです。

映画俳優としての活動(1950年代後半~)

*1956年:兄・慎太郎さんの芥川賞受賞作の「太陽の季節」でデビュー。

1956年:「狂った果実」主演を務め、一躍スターとなります。

1957年:[嵐を呼ぶ男]が映画、主題歌ともに大ヒットを記録しました。

映画[狂った果実]で主演デビュー。

瞬く間に銀幕スターになりました


              代表的作品

   兄、慎太郎の小説を原作とし 


〇[狂った果実]  デビュー作

若者の衝動と退廃を  鮮烈に描き

石原裕次郎のイメージを決定づけ

ました。

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 〇「嵐を呼ぶ男」   1957年

 〇「赤いハンカチ」   1964年

  裕次郎のダンディな

              魅力を際たせた代表


  〇 「黒部の太陽」  1968年 

建設に命を かける男達のドラマ、

スケールの大きな作品     

裕次郎 の  俳優  と しての巾の

広さを 示した。


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          「テレビドラマ」


✩  「太陽にほえろ」  

   1972年~1986年 14年間

「ボス」  とて若手刑事達を率いる

  役柄 で、若い世代にも絶大な

  人気   を博した。


✩  「西部警察」

  1979年~1984年  5年間   

 ハードボイルドなアクション で、 

 石原プロモーションの

           看板番組となりました。


   「歌手活動」


‪   ✩.*˚ 嵐を呼ぶ男    

   ✩.*˚ 銀座の恋の物語

   ✩.*˚ 夜霧よ今夜もありがとう

   ✩.*˚ ブランデーグラス

   ✩.*˚ 北の旅人  (遺作) 


  「その他の活動」


     1961年には

  「石原プロモーション」を設立。

  自らプロデューサーとしても

  活躍しました。俳優としては

 もちろん映画制作にも力を注ぎ、 

     渡  哲也     

     館  ひろし

     神田  正輝  

   といった後輩達を

   育て上げました。


又、ヨットマンとしても知ら

多趣味でスケールの大きな

人生を送りました。

その存在は

昭和という時代を象徴する

まさに「スーパースター」でした